せんねん君のつぶやき 9月23日 せんねん灸の歴史〜絹織物
先週は凄い昔の記憶を思い起こしました。
素晴らしい機械と織物に接し40年前の事を思い起こしました?
今は着物を着る人が本当に少なく成りましたね。
しかし戦後までは日本人の文化として~?和服と云う事が当たり前であり、その当時はお嫁入り?には着物一式持たせて上げるのが親の常識であり嫁入りの道具の一つの~ような時代がありました❗
今若い人が聴けばエッと云う日本人の文化で有りました❗
そんな日本の着物文化に必要な物は何か?
絹織物の着物と履き物、下駄であり~下駄の花緒(はなお )が華やかな織物でした☺
その頃に下駄に必要な鼻緒の生産地として旧長濱市から旧浅井町には軒を繋いだごとく~ビロードを織る生産地~織物の街でした。
道~を通れば何処の家からもガチャガチャと云う機織りの音が聞こえて来る街でした☺
せんねん君の父も終戦後~兵隊さんから帰り~何も仕事のない村に帰り、思いついたのが機織り~昭和25年からビロード鼻緒の生産業として機械を1台 2台と増やして家内工業として鼻緒の生産にきおしました❗
せんねん君もその後成人とともに仕事に従事して家内工業から会社として引き継ぎビロード業の世界と生産は今でもせんねん君の手の内に確り深く~残って居ます❗
鼻緒生産と~着物に挑戦した~織物それは着物に羽織る~コートの織物に取り組み
それが高級コ―ト地の生産に取組~そのコ―ト地 の織物の高級品故にナオ難しい織物も後半期には取組造りました!
その当事の機械を今なお唯一残しておられるお家を訪ねると懐かしい40年程前の機織り機に廻り会えました☺
せんねん君も何十年振りに~昔の恋人?初恋の機械に出会った気持ちになる日に廻り会えました❤
織物の難しい技術は今の時代のコンピューターが組み入れてある機械で全くなく~
人が人間が作り出す正しく人の鼓動が品物をつくり~人の掃く下駄に成って行きました❗
織物とモグサの今で云う多角経営の時代がせんねん君には25年位有りました❗せんねん君の歴史の中で物作りの2台車輪に日本の文化の着物とモグサと云う文化の物作りの仕事が脈々と生きている共通した日本の文化を造りだしている気がしました1日を触れる懐かしいと~共に日本の物づくりをこれからもより大切に守りとうして行く事が先代から引き継ぎ~せんねん君に~継ぎを引き継いでくれるせんねん君~であり総てのスタタッフ全員が日本の物づくり~販売まで手がけた、その先代の思いをあの 機織りの人の手だけで心がこもった~鼻緒はなおの下駄に据えられた肌触りの優しい品物が人に与えて来た鼻緒の素晴らしいさに久し振りに出会えた気がしました❗
せんねん君