「ウイズコロナ時代を生きるための養生とは」
明治国際医療大学 鍼灸学部 学部長 鍼灸博士 伊藤和憲先生にお話をお聞きしました。
鍼灸学博士
明治国際医療大学 鍼灸学部 学部長はり・きゅう学講座 教授
附属鍼灸センター 鍼灸臨床部長
産学官連携推進センター長
アスリートサポートセンター 補佐
鍼灸学博士
明治国際医療大学 鍼灸学部 学部長はり・きゅう学講座 教授
附属鍼灸センター 鍼灸臨床部長
産学官連携推進センター長
アスリートサポートセンター 補佐
養生とは「命を正しくまっとうする」。病気になることなく、最後まで元気に長生きすることといわれてきました。
養生には、自分自身のカラダをケアするための手だてであるセルフケアと、症状や病気がおこらないようにする、症状や病気から回復するための手だてであるセルフマネジメントの二つからなり立っています。
養生を行うには、自分で健康を管理する能力、自分のカラダを知り、活用するセルフコンディショニング力が必要です。
未知のウイルスといわれるコロナウイルスが世界的な広がりを見せ、なかなかその終焉が見えない今、健康とは何かが注目を集めています。
高度に発達した日本の医療制度はとても充実し、国民皆保険という世界に誇れるしくみがあります。
しかし、私たちはいつしかこのしくみに頼りっぱなしになり、自分の健康管理さえもお医者さんまかせ、薬まかせになっています。
健康を維持するためには、自分の健康管理は自分で行う健康の自立が、今こそ問われているのです。
養生とは、自分で自分の健康を管理する能力、養生こそ健康の自立への道なのです。
インフルエンザウイルスやコロナウイルスのようなウイルスとの戦いには免疫力が必須です。免疫力を高めるためにも日々の養生はとても大切なのです。
コロナウイルスについて間違いをおそれずに言うとしたら、生活習慣と大きくかかわっていると思います。
ウイルスというのは身の廻りにいっぱいあると考えるべきで、感染して発症するかしないかはその人その人の持っている免疫力だと思います。
免疫力とは、普段の生活の中で、養生によって培われるものなので、コロナウイルスに感染しやすい人が増えているのは、養生が見落とされてきた結果ともいえるのです。
例えば、あのクルーズ船のケースをあらためて考えてみると、いつ下船できるかわからない不安の中に全員がいるわけです。どこへいってもいけない、部屋から出てはいけない、未知のウイルスはどこにあるかわからないなどと毎日言われる、ウイルスはこわい 夜も眠れないでは、当然感染しやすい状況をつくっているわけで、ストレスと不安で免疫力がどんどん低下したことで感染が広がったともいえるのです。
日々コロナウイルスのニュースが耳にとび込んで来るなかで、これからの生活はどうあるべきかを考えるとき、私は生活習慣をまず見直すべきだと思うのです。
今、コロナウイルスを排除するという西洋医学的な考え方が主流ですが、現段階でウイルスを完全に排除することは難しいと思います。
むしろウイルスは強くなっていくことさえあるかも知れない、そういう中でどうすべきか。私はある意味共存していくしかないと思います。
そのためには自分の免疫力を高め、強くなること。もうひとつは、自分の感性を高めることで自分自身の体調の変化にも気をくばり、常に体調を意識した生活をめざすことも大切です。
カラダは常に、その日、その時の体調のサインを発信しているはずです。
ウイルス禍の中で日々を送る今、カラダのサインを読み取って、「今日はなんとなく体調が悪い」という日は外出をひかえるなど、自分のカラダの気づきを大切にして、自分なりにカラダの管理ができるようになることも養生といえるのです。
東洋医学は、健康となるチカラを引き出し高める医学。
そのための鍼でありお灸です。
鍼灸治療というのは自然治癒力を高めて症状を改善する治療ですが、近頃その高めるべきベースとなる自然治癒力の著しく低い人が多くなってきています。
患者さんへ十分治療したとしても、一週間後、次回来院時に「どうですか」とお伺いしても「あまり変わりません」というような答えが返ってきます。
よくよく話をきいてみると、鍼灸治療の結果というより、治療以前の問題が多いのです。食事もきちんととっていない。偏った食事で、カロリーは足りていてもバランスが悪い。夜ふかしで毎日寝不足。ストレスが多いなど。とにかく生活習慣を整えるところから始めないと、いくら治療しても効果は生まれないのではと思えるようなケースが増えています。そこで、生活習慣のアドバイスをはじめるようになりました。
私たちは、鍼やお灸を使って健康になるチカラを引き出すのが目的。そのためにも、健康なカラダの基本である養生を意識した生活をすすめるにいたったのです。
もうひとつ私が養生の大切さに気がついた要因があります。それは教職についた頃、私は病気で一年間入院しました。おかげさまで、今では日常生活に支障をきたすことのないカラダに回復しています。
それまでは、どちらからというと健康はタダと思って生きてきたわけですが、自分が倒れてはじめて健康の大切さ、健康はタダではないことが身にしみてわかりました。
病気になって初めて、日頃の生活のなかで自分のカラダのことを全くといっていいほど意識していなかったことに気づかされたのです。
病気になる前にきっと何らかの前兆があっただろうと、いろいろ思いをめぐらせても、あまりそれらしい異変を感じていませんでした。
養生とは「自分のカラダを知ること」「自分のカラダと会話すること」と、いつも口にしていた私にその大切さを教えてくれたのは自らの病気だったのです。
東洋医学を専門として生きている私ですら、倒れるまでその前兆に気がつかなかったことにとてもショックを受けました。同時に、これでは日頃から健康と思っている人ほど気づけない。
どうしたらだれもが気がつくようになれるか?私が養生アプリ(※)を作ったのもそのためだったのです。
「病気には意味がある」という言葉がありますが、私にとって病気はかけがえのない発見を与えてくれたと今では感謝しています。
※詳細は 「新しい健康のカタチ yojyo1192.com」
私は「はり師」「きゅう師」というコトバがあまり好きではありません。
鍼やお灸はあくまで治療のための道具です。
それをつかって痛みをとるだけでは単なる道具の使い手というだけで薬と一緒なのです。薬を飲んだだけでは健康で幸せになれるとはだれも思いません。それは薬に治すという役割以外を期待していないからです。そのため薬がカラダにあわない時には別の薬に変えられてしまいます。
しかし、鍼灸治療とは、単に痛みをとる、病気を治すだけでなくカラダを本来の元気な姿にもどし、更に高めることで、ずっと患者さんに寄り添っていく医学であるはずです。
東洋医学とは本来、痛みや病気の原因がなんであるかをつきとめ、健康にすることまでを見つめた医学であるはずです。しかし近頃、ややもすると鍼やお灸の使い方とか技術のほうに目がゆきがちで、東洋医学の柱であるはずの患者さんに寄り添うという役割が置き去りにされているような気がします。
今という時代を考えるとき、本来の鍼灸治療の意味を考える時なのかも知れないのです。
英語でpainは「痛い」ですが、同時に「いたい」「そばにいて欲しい」という意味があると私は考えています。
患者さんに鍼灸治療をして筋肉の痛みをとりのぞくだけでなく、その筋肉の持ち主である患者さんにどう寄り添っていくか、どうすれば寄り添えるか、痛みがとれればそれで終わりではなく、治療した以上はずっと先まで見守ることを考えるのが東洋医学だと思うのです。
それはコトバなのかもしれません。「日々の生活習慣についてこうしたほうがいいですよ」の一言だって寄り添うことになるのです。
治療したことで患者さんの日々の生活がより有意義なものになるように願うことが私のpainと考えています
痛い そばにいて欲しい いたい。